先達詩人の詩

秋田県の先達詩人の詩を随時紹介します。
一回目は押切順三(3)です。(『読本 押切順三』所収の「代表詩50選」から転載しました。)




 沈丁花

竹内景助は死んだ、
窓を明るくだ、
わからぬのか!
もっと窓を明るくだ。
若い父であった、
庭に一本の沈丁花があった
春はやく 枝の先々に花がつく、
彼はその庭木を愛した。
体をかがめて
頭をたたいて、
窓をもっと明るくだ!
竹内景助は陸橋をわたる、
からりと晴れた日本の夏の
たそがれであった
湯あがりのいい気分だ、
見おろす線路と
書き割りみたいな家並みが
暮色に沈んで夜となった、
そのまま夜となった。
遠い、遠い
日本の空は遠く
あ、あ、あ
お、お
ことばも失って
竹内景助は死んだ。
壁のなかで死んだ。
庭に一本の沈丁花があって、
やさしいかおりの
やがて春か。

一九六七年五月・コスモス第三次一四号


 ある空間についてのメモ

帽子はずり落ち
うすくまだらになった頭に陽があたっている、
ずっと西の方の
乾いた地方で
飯台にうつぶせになって
艾青(アイ・チン)はねむっている。
露光しすぎたネガみたいに
人はなぜとらえがたい存在になるのか、
この鮮明さのなかでは
人の影はうつろになるのか――。
オレは、魂の技師であったというのか、
オレ自身、触知されるもの なにをもっていたか、
意識というものと
いまここにある一杯のかおりたかい紅酒と
どちらに存在の価値があるのか、
重さがどうちがうのか。
革命のなかで詩は生れ
詩は革命のなかで生きてきた、
オレは労働と戦闘のなかで生きてきた。
思想なんてやっかいなしろものだ、
人は空想や仮定で生きて
長い時間をかけてそれを練りあげ
目鼻をつける
もうそれなくて生きていられぬほどだ。
人は朽ちることもできる、
人は創造し、脱皮もできる、
さなぎのようにへばりついている艾青の
うすくバラバラの髪の毛に
陽があたる。
艾青さん・さあ出かけよう、
時刻はいま午後三時

一九七〇年一月・コスモス第三次二〇号


 祝婚歌
 ―一九七三・三・二四


―あなたたちの地球儀―
東経一四〇度、北緯三九度四三分
ここ、秋田に春がそこまでやってきました。
公園のケヤキの枝がふるえています。
いのちの芽生えをはこんでくるもの、
空気をうごかす風というもの、
つねに未来をつくる光というもの、
ふたりは地球儀をまわす。
北緯三九度
西に、ペキン・タクラマカン砂漠・ナポリの船うた、マドリードの広場
東に、海の旅、サンフランシスコは海岸山脈、そしてニューヨークの下町
まわる、まわる
ふたりだけの地球儀、
こどもが生れたら、うんと大きな地球儀を買いなさい
大事な大事な、
ふたりのためのこの地球よ。


 Map

にょっきり、カマ首を
もたげているていの
日本東北は、
厚いガラス板に組みしかれている。
机いっぱいの、地図の右肩
むつ小川湖のへんは
すでに汚れ、
ガラス板の上にフエルトペンがころがり、
左、胸の乳房のあたりに、
赤い埋立地図形がおかれる。
―秋田湾二千六百ヘクタールを埋め立て
青いライン・黄の円で地図は刻まれる、
―鉄鋼一貫製鉄所
粗鋼生産年産千二百万トン
地図から生活記号が消え、
米代川の水、残存湖の真水は
符号で囲まれ、
山は崩れ、枯死していく一帯、
土塵と汚泥のなかで、地図はきしむ。
―秋田県の現実と
〝日本〟がそれを求めるのだ
したり顔で立ちはだかるやつ、
―この県の産業構造をかえよ
農業 それで生きられる条件があるというのか、
地図から弾きだされる
顔、顔がガラス板に映る。
北西の強い風が吹き、
拡散し、沈下し付着するもの、
体制のなかに埋もれる地図、
―漁民でありますが、また市民、県民でありまして、……
言うな。おのれを売るな、
今日はなぎ、
波うちぎわに僅かに白波
半円の海、
男鹿の山まで弓なりに渚浜、天王砂丘
渚浜、素足の下でやさしく砂の声、海の水。
組みしかれた地図、
火を噴くこともない風土であるか、
高波、逆波にもまれもまれ
コンクリート壁で死ぬハタハタの大群。

一九七七年


 行方

畳まではがして
本・手紙・雑誌・ノートの類、
三台のリヤカーで運び出した。
それらをどうした、
それらをどこでどうした。
一九四〇年一一月二〇日の夜明け、
松林のなかの加藤家の玄関戸をたたいたのは
県庁中山警部補ほか私服四名、
二人は素早く裏手にまわった、
中山警部補・来てくれれば話がわかるよ――
『北方教育』は潰滅し、
あれから三十八年たった。
松林一帯はびっしりの住宅地。
中山警部補、いまどこにおる
戦争で死んだか、
生きているか、病み呆けているか、
―お国のためにな、あいつらを、
そんなことをほざいているか。
上官は誰だ、
もっともっと上の
戦争を起したのはどこのどいつだ。
三台のリヤカーでどこに運んだ。
アルバムを引きさき、
仲間の顔を赤鉛筆で汚し、
治安維持法違反と喚いた
松田警部補、
いまどこにいる、
人を見据えるあの眼のままで死んだか。
三十八年たった。
あの手先たちはいまどこでどうしているか。
あのへん一帯、松葉の厚いフェルト、
三台のリヤカーのゴム輪は、
その上を通った。

一九七八年一一月、加藤周四郎『北方教育物語』による。
(北方教育五十周年記念集会一九七九・九・一五で朗読)
一九七九年二月・コスモス




 秋海棠

戦争があって、
生き死にがあって。
このごろの
近しい人、何人かの死。
ひらいた瞳孔の底の底の
細い、長い長い道。
埋もれていた時があり、
葉をそろえ
のびひろがったのもいっとき、
花をつけたのもいっとき。
しゅうかいどうが、
いつのまにか
花をつけて秋。
水彩の、
淡紅色の花がうかんでいる。
いくつも、いくつも、
悔いとも、恥ともつかぬ思いが
滲んで。
いま、ほろりと花がこぼれる。
一つの雄花が、
私の六十年の、
時間を透かしたむこうに
しゅうかいどうの花が、
うかんでは消え
うかんでは消え、
滲む思いが
こみあがっていま秋。

一九八一年・竹青


 山吹

作業場のそばに、
杉木立を背に山吹の黄、
このへんでは珍しい大株であった。
いまは、
車庫となって
一面、コンクリートの舗装、
株は、切り刻んで移したというが、
それで絶えたか。
―たかが十年で、こう変った。
子供たちは、
体制にはまりこんで走り使いだ、
票集めに帰ってくるのもいる、
農業は、きれいにやめた。
おれも年をとった、と
この家のあるじは言う。
一重であった、あの黄いろ。
色の反射ではなかった、あれは色の吸収であった。
生き残りみたいな これ、
彼は
シャガの花二本を酒器に挿した、
やあ これはどうも、と
おれは言った。

一九八一年九月・幻野

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